本学会では3日間を通して50題を超えるオーラルセッションと142題のポスター発表がありました。オミクス分野から臨床分野, 地球科学, 食品化学, 気相イオン化学など質量分析に関連したあらゆるテーマの発表を聴講することができました。企業ブースも多くの出展があり、マトリックス添加が不要なMALDI用金属プレート、生体サンプル中の酵素を熱処理によって失活させ定量値の改善に繋げる前処理装置など目新しい製品が並んでおりました。
近年の傾向でしょうか、イメージング質量分析に関連する発表が多かったように感じられましたので、その一部を下記にご紹介したいと存じます。
~イメージング質量分析(IMS)~
生命科学者にとってin vivoでの化合物の局在とその挙動を捉えることは自然な欲求であり、その欲求もしくは必要性が今日の高度な顕微鏡システムを作り上げたと考えられます。光学顕微鏡の空間分解能では観察ができない微小領域の観察には電子顕微鏡(または走査型トンネル顕微鏡など)が開発され、ライブイメージングの分野では超解像度顕微鏡が開発されたことで、光の回折限界を超えた画像が得られるようになりました。顕微鏡観察下における化合物の位置同定には蛍光標識した抗体を利用する手法や、染色やGFP発現を利用する手法が一般的ですが、低分子化合物の検出は困難なケースが多いと推察されます。ラベリングせず、インタクトな状態において低分子~核酸, タンパクなどの生体高分子を検出できる技術として、イメージング質量分析(IMS)への興味が非常に高まっているのが感じられます。
基調講演では横浜市立大の高山 光男先生が「歴史とカメラ技術の類似性から学ぶ質量分析装置の将来像」と題して、双方の発展の歴史と現在のカメラのデジタル技術情報に触れられており、イメージング装置としての質量分析を考えた際のカメラとの類似点など考えさせられるご発表でした。 IMS関連の発表の中より2題をご紹介いたします。
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a)ナノ微粒子支援型レーザー脱離/イオン化(Nano-PALDI)法の開発
平 修 先生(福井県立大・生物資源学部)
MALDIでは塗布するマトリックスの結晶の大きさが分解能に直結し、現実的には空間分解能が10um以上といった制限があります。平先生の手法では金属酸化物の微粒子をマトリックスとして用いることが特徴であり空間分解能が向上します。金属酸化物単体ではイオン化効率が悪く、ターゲットの低分子の感度が得られないため、表面をシラノール処理した上にアミノ基やカルボキシル基などの官能基を修飾するという工夫が施されています。(この構造はHPLCカラムに用いられる担体と非常に似ていることが興味深いです。レーザー照射時のターゲット化合物のイオン化促進に繋がっているようです。)
MALDIでは高分子用, 低分子用とターゲットによって使用するマトリックスの種類を使い分けていますが、本発表では上記の修飾化金属微粒子で1度に低分子~高分子まで妨害のない良好なマススペクトルが得られておりました。
b)二次イオン質量分析法および関連技術を用いたイメージング質量分析
藤井 麻樹子 先生(産業総合技術研究所)
TOF-SIMSを用いた高分子材料や生体試料のイメージングを研究テーマとされており、この度のご発表ではSIMSとMALDIの特長比較をされていました。 SIMSの長所として何よりも分解能の高さが挙げられ、Bi(ビスマス)クラスターSIMSでは分解能がナノメーターオーダーに達し, 非常に鮮明な画像を得ることができます。MALDIの空間分解能がマイクロオーダーであることに対し, 1000倍もの解像度の開きがあることになります。ただし、高分子領域のイオン化は不得意としており、感度が低下します。PEG1000, 2000でのイオン化効率を比較したケースでは、1000に対し2000は、感度の悪い結果となります。 MALDIの性能はSIMSの傾向とは逆となり、解像度は控えめながら高分子領域のイオン化に問題はなく良好です。
イメージング質量分析用の装置は各社より販売がされており、バリエーションも富んできておりますが、研究者の声をお聞きしている限りでは感度・定量性・空間分解能においてそれぞれ課題が残されているようです。スループット性においてはレーザー光路にガルバノミラーを搭載したMALDI-TOFMSもブルカー・ダルトニクス社より発表され、従来より高速な走査が可能となっています。また、走査型に対して投影型のイメージング質量分析装置「MULTUM-IMG」の開発も進んでおり、実用化となれば大きなブレイクスルーになるのではないかと期待されます。
2002年には田中耕一さんのMALDIイオン化法開発によるノーベル化学賞の受賞がありました。同年、ジョン・フェン氏(米)もESIイオン化法の開発により同賞を受賞しております。学会で最先端の技術について拝聴すると、質量分析の分野において次はどのような研究内容がノーベル賞を受賞するのであろうかと思わずにはいられません。
今後、イオン化の改良やハイフネーテッド技術の進歩に伴い、イメージング質量分析で得られる情報量とその精度は増していくものと考えられます。同時に装置がより一般的なものとなり、ライフサイエンス分野において薬物動態や病理学の研究者はもとより、基礎研究の段階から生命現象を解き明かす強力なツールとなっていくことを期待いたします。 |